武士道の極意が記されている「葉隠」によると、究極の恋は告白しないこと、つまり
「忍ぶ恋こそ本物の恋である」と記述されている。
恋の至極は忍恋(しのぶこい)と見立て候。逢いてからは恋のたけ低し、一生忍んで思い
死することこそ恋の本意なれ。
「恋死なん 後の思いに それと知れ ついに洩らさぬ 中の思いは」
この歌の如きものなり。これに同調の者「煙仲間」と申し候なり。
和歌の意味は、「恋慕ったまま死んだ私を焼く煙を見て、最後まで明かさなかった私の心を
知って欲しい」。自分の胸の中を相手に打明けず相手に心から尽くす隠し奉仕陰徳は、
常朝が重んじる「陰の奉公」に相通じるものである。「次郎物語」の作者下村湖人は青少年
育成事業として同志的結合を大切にする「煙仲間運動」を提唱しこの語が有名になった。
いまの時代、成就してこその恋愛という考え方が標準に違いない。葉隠にある忍恋は、
あるとしたら不倫ぐらいではないか。かく言うオイラも、Kさん抱く気持ちは忍恋だ。
時代遅れの煙男である。10月9日の日記に書いた菊地氏のアドバイスに従って、この
状態を存分に楽しみ続けたい。
あるとしたら不倫ぐらいではないか。かく言うオイラも、Kさん抱く気持ちは忍恋だ。
時代遅れの煙男である。10月9日の日記に書いた菊地氏のアドバイスに従って、この
状態を存分に楽しみ続けたい。
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